法福寺トップページへ
To top

日蓮宗法福寺TOP >
法福寺について 年中行事 > 団参



縁起 院首 住職境内年中行事交通案内



ひとつ次の団参(2016年〜)

団参(2002年〜2015年)

平成27(2015)年5月25〜27日
平成25(2013)年9月26〜27日
平成23(2011)年5月23〜25日
平成21(2009)年5月23〜25日
平成20(2008)年5月23〜25日
平成19(2007)年6月1〜3日
平成18(2006)年5月19〜21日
平成17(2005)年5月20〜22日
平成16(2004)年5月28〜30日
平成15(2003)年5月23〜25日
平成14(2002)年6月14〜16日



平成27(2015)年5月25〜27日



 今年は かつて定番だった「身延山久遠寺・七面山参拝」の復活です。二日目のお宿は大分足を伸ばした昼神温泉。

七面山へ登詣する方
25日:法福寺=七面山(泊)
26日:七面山=身延山久遠寺(輪番奉仕)=昼神温泉(泊)
27日:昼神温泉=清内路峠=妻籠宿散策=須坂 豪商の館 田中本家=法福寺

七面山へ登詣しない方
25日:法福寺=昇仙峡仙娥滝=武井坊(泊)
26日:武井坊=身延山久遠寺(輪番奉仕)=昼神温泉(泊)
27日:昼神温泉=清内路峠=妻籠宿散策=須坂 豪商の館 田中本家=法福寺

御来光を拝む檀信徒

 三日間とも天候に恵まれた団参でした。写真の通り、七面山での御来光にも恵まれます。みぞれだった前回(4年前)とは真逆です。

妻籠宿

 25日5時半に寺泊を出発。高速道路が整備されたお陰で、お昼前には七面山麓に到着できます。とはいえ、昼食を摂る間はなく、車中にて峠の釜めしをいただきました。
 お昼、七面山へ登詣する方としない方に別れます。登詣する方は徒歩にて一路敬慎院へ。しない方はまたバスに乗って来た道を戻り、昇仙峡へ立ち寄ったのち、武井坊に参籠しました。

 26日。登詣した方は5時半に敬慎院を出発し下山。登詣しなかった方は久遠寺での朝勤に参加。お昼に合流します。これまでならば、この時点でお参りは終わり、となるのですが、今年は違いました。輪番奉仕です。平成21年平成25年に続く三度目となりますが、七面山登詣と同時に行ったのは今回が初めてです。
 輪番奉仕の終わったところで、(今度こそ)お参りは全て終了。門前町にてお土産を求め、昼神温泉へ向かいます。
 輪番奉仕に時間がかかったため身延出発が遅れ、そのまま昼神温泉への到着も遅れましたが、夜は宴会で楽しいひとときを過ごしました。

 27日。峠を越えて妻籠宿へ。ガイドさんの説明を受け(写真)、散策。
 その後、昼食と見学を兼ねて須坂の豪商の館 田中本家へ。途中高速道路の事故通行止めにあい、遅れて到着しました。そこへ出迎えて下さったのは、田中家次期御当主。田中家の財産を移管する財団法人を設立し、私立博物館を開館してから三代目にあたる方とか。そのような立場に安閑とすることなく最前線に立ち、暑い中でも上着をお召しになって、遅れてきた私たちに嫌な顔ひとつ見せないお姿に、頭が下がりました(遅れた私たちのために、別団体さんの昼食時間を早めて頂いたそうです。ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます)。

 このページの一番上へ


平成25(2013)年9月26〜27日



 ここ十数年来で初となる一泊二日での身延山久遠寺団参です(もしかしたら法福寺団参史上初かも知れませんが、過去の資料が散逸しており、わかりません)。

 今回は、全員が七面山には登らず、輪番奉仕をしました。

26日:法福寺=武田神社=ぶどう狩り=武井坊(泊)
27日:武井坊=身延山久遠寺(輪番奉仕)=門前町=大王わさび農場=小布施ハイウェイオアシス=法福寺

初日昼食はほうとう

 初日お昼は、お店は違いますが、今回もほうとう

武田神社

引き続き、大正8年創建という新しい神社。武田神社へ。

ぶどう狩り

食べ放題のぶどう狩り。

拝殿へ向かう

 二日目、目玉の輪番奉仕です。最中の撮影ははばかられたので、移動中の一枚。

このページの一番上へ


平成23(2011)年5月23〜25日



 団参と檀信徒懇親旅行が交互に隔年開催されるようになって二年目。団参を行う今年は 定番「身延山久遠寺・七面山参拝と下部温泉の旅」です。

七面山へ登詣する方
23日:法福寺=七面山(泊)
24日:七面山=白糸の滝=日蓮聖人御廟所=下部温泉(泊)
25日:下部温泉=身延山久遠寺(朝勤)=川越=長瀞舟下り=法福寺

七面山へ登詣しない方
23日:法福寺=昇仙峡仙娥滝=武井坊(泊)
24日:武井坊=白糸の滝=日蓮聖人御廟所=下部温泉(泊)
25日:下部温泉=身延山久遠寺(朝勤)=川越=長瀞舟下り=法福寺

雨の敬慎院

 七面山登詣中は始終雨に恵まれ、いつもより慎重に登り下りする姿が見られました。七面山にお勤めの方々によって きれいに掃き清められている参道を 感謝しながら一歩一歩進みます。
 写真は二日目早朝 出発前の一枚です。当然 御来光には恵まれず。それどころか、写真ではわかりませんが、白いものがちらほら降っていました。

折れた電柱

 参道では、木が電線を巻き込みつつ倒れたため、電柱が折れ曲がっておりました。雨で地盤がゆるんだのが原因でしょうか。
 天気が晴れや くもりならば、下りるにつれ気温が上がるのですが、この日は違います。いくら下りても気温は上がらず、肌寒いままでした。

富士山

ところがそんな大雨や低気温もどこへやら。登詣者全員が下り、一段落した頃には雨もやみ、徐々に気温が上がります。最終日の車窓から見た富士山はご覧の通りです。

長瀞にて乗舟

 長瀞舟下りも、「昨日は水量が多かったから営業しなかった」との船頭さんのお言葉を裏付けるように流れは速く、予定時間の半分で終わってしまいました。

このページの一番上へ


平成21(2009)年5月23〜25日



 今年は、旅行委員を募り 御検討頂きました。結果、「身延山久遠寺・箱根湯本温泉の旅」となります。

23日:法福寺=身延山久遠寺(祖廟輪番奉仕)=身延山奥の院(御開帳)=武井坊(泊)
24日:武井坊=身延山久遠寺(朝勤)=鳴沢氷穴=忍野八海=大涌谷=箱根関所跡・資料館=箱根湯本温泉
25日:箱根湯本温泉=彫刻の森美術館=法福寺

ほうとうを召し上がる参加者

 初日お昼の ほうとう。

斜行エレベータ

 新しくできた、斜行エレベータ。

五重塔

 この度復元された五重塔。

鳴沢氷穴

 鳴沢氷穴での一枚。

このページの一番上へ


平成20(2008)年5月23〜25日



 かつて、隔年開催だった身延山久遠寺・七面山参拝を昨年に引き続き行いました。

七面山へ登詣する方
23日:法福寺=七面山(泊)
24日:七面山=波木井山円実寺=身延山(御開帳)=日蓮聖人御廟所=麓坊(泊)
25日:麓坊=身延山久遠寺(朝勤)=池上本門寺=法福寺

七面山へ登詣しない方
23日:法福寺=身延山麓坊(泊)
24日:七面山=波木井山円実寺=身延山(御開帳)=日蓮聖人御廟所=麓坊(泊)
25日:麓坊=身延山久遠寺(朝勤)=池上本門寺=法福寺
このページの一番上へ


平成19(2007)年6月1〜3日



 今年は、隔年開催の「身延山久遠寺・七面山参拝と下部温泉の旅」でした。みなさんの都合となかなか合わず、19名での団参です。日程設定の難しさを改めて感じましたが、人数が少ない分、短時間で小回りのきいた行動ができました。

七面山へ登詣する方
1日:法福寺=七面山(泊)
2日:七面山=波木井山円実寺=身延山奥の院=日蓮聖人御廟所=下部温泉(泊)
3日:下部温泉=身延山久遠寺(朝勤)=富岳風穴=忍野八海=河口湖=富士山五合目=法福寺

七面山へ登詣しない方
1日:法福寺=身延山麓坊(泊)
2日:七面山=波木井山円実寺=身延山奥の院=日蓮聖人御廟所=下部温泉(泊)
3日:下部温泉=身延山久遠寺(朝勤)=富岳風穴=忍野八海=河口湖=富士山五合目=法福寺


富士山富士山五合目からその上を撮る
 わたしたちがいた ほんの20分間くらいだけ姿を現してくれました。頂上までは見られませんでしたが、到着時には全く見えず、出発時にも見えなくなりつつあったので、わずかに見えただけでも、誠にありがたいことでした。新潟からは富士山が見えないので、そのありがたさもひとしおだったようです。


参加された方に寄稿いただきました。


「法福寺様の旅行の思い出」河野清一様

 平成19年の七面山身延山の旅は、3日間天候に恵まれ、非常に楽しい旅でありました。「今年こそは何としてでも七面山身延山にお参りしなければ」と思っておりました。昨年9月に亡くなった老妻の遺骨を持ってお参りさせて頂きました。

 大分惚けてしまいましたので、間違いやら記憶違いばかりですが、御首題帳や写真帳を探し出してみますと、今回で登詣10回目になるようですので、お参りを振り返ってみます。
 私が初めてお参りに参加したのは、昭和58年の年でした。その年の写真がありました。小林芳太郎さん家族、家後政清さんと一緒でした。その後、河合哲重さんや島崎の矢部さん等元気の良い人が真っ先に登って行かれました。
 明聖寺様の檀家の方々と、七面山や京都方面に一緒した時もありました。松田の近藤さん、荒町の阿部さん等と幾回かお参り致しました。
 雨に降られたのは平成15年の年だけと思っております。御来光を拝めたのも1回だけでした。この時は、富士山を見ているうちに全山赤くなりましたので、非常に感激致しました。
 京都奈良の時は、三五直蔵さんと矢部仁右ェ門さん、また小湊誕生寺の時は、本合茂助さん、田辺忠吉さん、内藤糸利さん等と一緒でした。

 昔は、バスでなく電車でした。4人掛けに女性3人と掛け、野積弁丸出しで話しをしておりましたら、たまたま隣に乗り合わせた方が「顔を見れば日本人のようだが、言葉が全然わからないので、韓国人だろう」と思っておられたそうです。
 今年、七面山の途中で休んでおられた方に話しかけましたら、「あなたは新潟の方ですね」と言われ、驚きました。自分では標準語のつもりでおりましたのに…、恐れ入りました。その方は、「今は東京だが生まれは白根だ」と言っておりました。

 平成11年は、長男の写真を持ってお参りさせて頂きました。
 亡妻は私よりも早くから七面山のお参りに参加しておりましたが、ある時から一緒に行くようになり、平成10年の西九州の旅までずっと一緒でした。

 なつかしい写真がありました。祖母がお万の滝に打たれている写真です。昭和10年頃かと思っております。

 時代が変わりました。私もいつの間にかこんな年になりました。でも、体力のある限り、お参りしたいと思っております。
 有難うございました。


「七面山初参拝」田辺莞司様

 登り始めてからどの位まで来たのだろうか。二〇丁の石灯籠を過ぎたが、この先道はどうなっているのか。足は重く、リュックも肩に食い込み、背中は汗だく、ジグザグと続く登道。たまに尾根道に出ると涼しい風に元気をもらい、初参拝の実感が湧いてくる。
 登り始めは皆様と一緒で、自分のペースで登った方が疲れないとか。自然と前後に人の姿は見えなくなり、一人は心細いものです。時々聞こえてくる川の水音と風にゆれる若葉の音、そして木漏れ日の中を、森林浴をしながら頂上を目指す。足の痛みと疲れで「もうダメ」と思った頃、山の上の方より鐘の音。「もう少しだ」。力を振り絞り到着しました。
 足腰の痛みと疲れ、いびきの大合唱(自分も仲間入りしていたとか)で寝不足だったが、それでも、朝のお勤めの身の引き締まるような感動の方が、今は懐かしく想い出されるのです。不思議です。これも法華経の教えでしょうか。
 御前様始め皆様お世話になりありがとうございました。


「いま仏教への道」河合正栄様

 菩提寺の総本山参拝の旅を知り参加させていただきました。参加者は常連揃い。
 初日、日蓮宗の霊場である七面山頂の敬慎院をめざす。うちわ太鼓を打鳴しお題目を唱えながらの白装束姿の信者に交じっての2里の信仰登山。昨年亡くされた奥様の遺骨を胸に抱く83歳の男性と先頭を切る。自分としては毎年登山をし足には自信があったが、その人の底知れぬ力に驚き不思議さを感じた。きっと仏道崇拝と永年寄り添った妻からのパワーであろう。
 初めての勤行(ごんぎょう)、腹に響く大太鼓を叩き、「南無妙法蓮華経」のお題目を300回、激しく一心に唱えた。頭中は真白くなり、全参加者が一心となる神秘的で不思議な状況となった。
 短いお経をひたすら唱えるという点でお念仏と似ているが、内省的で奥へ入っていくように感じるお念仏に対し、お題目は外へ外へとエネルギーを発散し狂乱の世界へ。快楽と元気をもらった。
 宿坊での精進膳、お陰様で何年振かの休肝日となった。
 今まで現実主義の自分にとって、この光景は大きなギャップを感じたが、これを機に3月末で退職後の第二の人生を有意義に過ごしたい。
 母も生前この旅で幾度かお参りし、朱印で余白のない行衣を肩に7年前旅立った。
 帰宅後、今は亡き父母に感謝し仏前に手を合わせた。
このページの一番上へ


平成18(2006)年5月19〜21日



 京都・奈良方面へお参りに行きました。総勢32名、大型バス一台ちょうど良い人数でわきあいあいと2泊3日過ごしました。

19日:法福寺=大本山妙覚寺=大本山妙顕寺(泊)
20日:大本山妙顕寺=法隆寺=薬師寺=奈良公園・東大寺・大仏殿=雄琴温泉(泊)
21日:雄琴温泉=横川定光院=比叡山根本中堂=法福寺


東大寺にて東大寺で説明を聞く参加者の方々


参加された方に寄稿いただきました。

「京都・奈良の思い出」松田麻里様
 私はまだ、法福寺様に出入りするようになって間もないので、旅行に参加するのはずっと先のことだと思っておりました。母に誘われ、行くと決めましたが、右も左もわからないので、日に日に不安の方が大きくなり、渋々参加させていただいたというのが本音ではありました。その不安とは違い、皆様が親切でとても安心して参加させていただきました。
 京都・奈良方面へ行ったのは生まれて初めてでした。一日目、妙覚寺についた時は、あいにくの雨模様でした。その日は妙顕寺に泊まりました。お風呂にも入り、ゆっくり眠れました。二日目は朝勤の後、宝物殿のご説明をしていただきました。しかし、私には知識がなく、よく理解できませんでしたので、勉強することが増えました。日蓮様の直筆のおまんだらを見たり、特別にコピーまでいただきました。三日目は横川定光院と比叡山をまわりました。びわ湖を眺めながらの昼食をすませ、帰りは初めてのびわ湖を見ながら楽しく帰ってきました。
 妙顕寺の御住職の「お題目、お題目と簡単に言わないで下さい」という言葉の重みを感じ、またがんばっていきたいと思っています。
 今回、初めて、お寺の旅行に参加させていただきました。母と一緒ではありましたが、初めてということもあり、不安でいっぱいではありましたが、ご住職様、副住職様ならびに皆様のおかげで、楽しく過ごさせていただきました。三日間ありがとうございました。今後は、お題目のことなど、今回わからなかったこともふまえ、しっかりこつこつと地道に勉強していくつもりです。今度は七面山参拝にも参加させていただくつもりでおりますので、その時は今回同様に、またよろしくお願いいたします。

「京都団参に参加して」米谷キミイ様
 5月19日早朝、快晴とは云えないまでもお天気に恵まれ、参加者32名一路北陸道から京都へと進みました。
 最初に妙覚寺へ。あいにくの雨でしたが、お題目をお唱えし 美しい庭園に見とれました。
 宿泊する妙顕寺は前に団参した事があり、中庭の竹林があったなど思い出し乍ら その日の疲れをいやし夢の中へ・・・
 翌日早朝、朝勤の後 宝物殿を拝観しました。
 奈良では薬師寺、法隆寺と大仏殿を拝観後、公園で鹿と共に記念撮影し 雄琴温泉泊り。和やかな夕食会でした。
 最終日、比叡山横川の定光院御開帳。日蓮聖人が若き日、12年間の修行で仏教の全宗派を学ばれた後 お釈迦様の真意は法華経にありと確信された処だそうです。
 次に比叡山根本中堂をお参りし、関係者に感謝し乍ら帰路につきました。
 ありがたい事です。
このページの一番上へ


平成17(2005)年5月20〜22日



 身延山久遠寺・七面山参拝と下部温泉の旅

七面山へ登詣する方
20日:法福寺=七面山(泊)
21日:七面山=波木井山円実寺=身延山奥の院=下部温泉(泊)
22日:下部温泉=身延山久遠寺(朝勤)=法福寺

七面山へ登詣しない方
23日:法福寺=身延山麓坊(泊)
24日:身延山麓坊=波木井山円実寺=身延山奥の院=下部温泉(泊)
25日:下部温泉=身延山久遠寺(朝勤)=法福寺

このページの一番上へ



平成16(2004)年5月28〜30日



 誕生寺・清澄寺・久昌寺参拝と潮来水郷めぐりの旅

28日:法福寺=誕生寺=清澄寺(泊)
29日:清澄寺=久昌寺=袋田温泉(泊)
30日:袋田温泉=法福寺

このページの一番上へ


平成15(2003)年5月23〜25日




 身延山久遠寺・七面山参拝と下部温泉の旅

七面山へ登詣する方
23日:法福寺=七面山(泊)
24日:七面山=大野山本遠寺=身延山奥の院=下部温泉(泊)
25日:下部温泉=身延山久遠寺(朝勤)=法福寺

七面山へ登詣しない方
23日:法福寺=身延山北之坊(泊)
24日:身延山北之坊=大野山本遠寺=身延山奥の院=下部温泉(泊)
25日:下部温泉=身延山久遠寺(朝勤)=法福寺

このページの一番上へ


平成14(2002)年6月14〜16日



 北海道 十勝川、富良野、美瑛、札幌の旅

14日:法福寺=千歳=十勝川温泉(泊)
15日:十勝川温泉=富良野=美瑛=札幌(泊)
16日:札幌=経王寺=小樽=法福寺

このページの一番上へ