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解説

基礎知識
方便品第二
如来寿量品第十六(お自我偈)



基礎知識



・法華経は長行(じょうごう、ちょうぎょう)と呼ばれる散文と、偈頌(げじゅ)と呼ばれる韻文から構成されています。
・法華経が説かれる舞台は、インド霊鷲山(りょうじゅせん、霊山)から虚空(空中)、 そしてまた霊鷲山へと移り変わります。これを、霊山と虚空の二カ所で三度の会合が行われることから、「霊山虚空二処三会(りょうぜん こくう にしょさんね)」といいます。

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方便品第二



 法華経第2章です。意外に思われるかも知れませんが、法華経の始まりである 序品第一 では、お釈迦様は一言も言葉を発せられません(序品では、たくさんのお弟子さんが お釈迦様の説法を待ちわびている様子が、述べられています。まさに 序章 です)。

 この方便品に入り、初めてお釈迦様が口をお開きになられます。そこで、法を説き始める…と思いきや、「諸佛の智慧は甚深無量」で「難解難入」であり、佛の「意趣(は)解り難し」と仰います。つまり、難しいから教えは説きません、と仰るのです(待ち望んでいたお弟子さんたちは さぞや驚かれたことでしょう)。そして、佛同士だけが教えの本質(如是相…如是本末究竟等)をわかりあえるんだ、と仰ったところで、写経部分は終わります。

 通常、方便品といえば ここまでです。しかし、実は、これで終わりではありません。
・佛が この世に出現した理由(開示悟入)
・舎利弗(しゃりほつ、お弟子さんの一人)が教えを説くよう 三度 お願いするも、お釈迦様は三度とも断る様子(三止三請)
・それを見ていたお弟子さんのうち5000人(以上)が その場を去る様子(五千人起去)
が述べられて行くのです。もちろん、なぜそんなことをされたのか(「法華経」を説くつもりだったにも関わらず、始めに「説かない」と仰った理由) も述べられます(が、それらの解説は 別の機会に譲らせて頂きます)。

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如来寿量品第十六(お自我偈)



 法華経第16章です。本来、この章は長行「爾時佛告諸菩薩」から始まるのですが、それを省略し偈頌「自我得佛來」から唱えることがよくあります。つまり、「自我」から始まる偈頌ですので、「お自我偈」です。
 法華経を信仰する人にとってはもっとも最重要なお経であり、ひいては最も一般的なお経でもあります。

 その趣意は、中村元氏の著作(現代語訳 大乗仏典2『法華経』)より引用させて頂きます。
「仏は常にいて、生滅をくり返すものではありませんが、人々がそれに安心して真剣に法を求めなくなるので、方便によって涅槃の姿をとり、渇仰させて精進させる、しかしほんとうは何ものにも破られることのない常住のものなのだ」

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