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寺泊御書 目次
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現代語訳

(段落ごとにまとめた注釈はサイト管理者による)
※注釈作成にあたり、三上雅之様に御尽力賜りました。衷心よりお礼申し上げます。

※なるべく機種依存文字を使用しないよう、例えば「相」ならば[木目]といった表記をします。それでも一部には機種依存文字を使用しています。正しく表示されない場合がありますが御容赦下さい。


今月(文永八年十月)十日に、相模国愛京郡依智の郷(現在の神奈川県厚木市依知)の本間重連(1)の役宅を出発して、武蔵国久目河の宿(現在の東京都東村山市)に着き、それより十二日間の旅をして、越後の国、寺泊の津に着いた。これからいよいよ日本海の大海原を渡って佐渡の国へ向かおうとしているが、順風が定まらないため、いつ渡るかという時期の見当がつかない(2)。依智から寺泊への道中のことは、思案している余裕などなく、また筆に書くこともできない困難なものであった。ただ御賢察をお願いするばかりである。またすべての艱難はもとより覚悟の上なので、いまさら嘆くべきではないので、申し述べるのはやめておく。

1:ほんま しげつら。佐渡国守護代 本間六郎左衛門尉重連。文永8(1271)年9月13日未明、片瀬の刑場竜の口での虎口(竜口法難)を逃れた日蓮聖人を一時預かった。後に日蓮聖人に帰伏し厚い信頼を寄せた。
2:一週間寺泊に滞在され27日出発。翌28日佐渡島松ヶ崎に漂着された。滞在された座敷跡には、日蓮聖人獅子吼(ししく)の銅像が建つ。

法華経の第四巻の法師品(ほつしほん)第十には「この法華経は、釈尊が世にお出ましになって活動していた時代でさえも怨(うら)み嫉(ねた)む者が多い、まして釈尊の入滅後にはより多くの困難がある」とあり、法華経第五巻の安楽行品第十四には「世の中には怨みが多く信仰することは困難である」とある。また涅槃経の第三十八巻には「その場にいたすべての外道(3)の人々が、阿闍世王(4)の前に出て次のように申し述べた。大王、いま世の中に一人の大悪人があります。その大悪人とは瞿曇沙門すなわち釈迦であります。世の中のあらゆる悪人は、自分の利益のために釈迦のところに集まって、しかもその配下となって少しも善いことをしようとはしません。また釈迦は怪しい呪術の魔力によって、迦葉(5)や舎利弗(6)・目連(7)等を帰伏させ弟子にしています」とある。この涅槃経の経文は、あらゆる外道が、自分達の本師であるところの二天(摩醯首羅天(まけいしゆらてん)(8)・毘紐天(びちゆうてん)(9))三仙(迦毘羅(かびら)(10)・[シ區]楼僧[イ去](うるそうぎや)(11)・勒娑婆(ろくしやば)(12))の説いた四囲陀(しいだ)等の経典の説を、釈尊にきっぱりと否定されたことを残念に思い、国王に訴え出る折に吐いた悪口である。また法華経の経文による「怨嫉」「多怨」という意味は、涅槃経のように外道が釈尊を敵としているのとは少々趣きが違って、仏教を信奉する者の中にもある「怨」、すなわち釈尊の弟子の中にさえも多くの法華経の「怨」があるということを説いている。天台大師智[豈頁](ちぎ)(13)の説を承けた妙楽大師(14)の法華文句記にも、小乗の覚りに執著する声聞(15)・縁覚(16)ならびに、始成正覚の仏を信奉して永遠の釈尊を信じようとしない(17)菩薩等が怨であるとある。また法華経を聞こうともせず、信じようともせず、受容しようとしない者は、たとえ口に出して公然と謗らなくとも、それらはすべて法華経の怨嫉であると断定された。釈尊が世に在った時の様子から、入滅後の今日に推しあてて考えてみると、今のあらゆる諸宗の学者は、すべて釈尊在世の頃の外道に相当する。外道が釈尊を「大悪人」と呼称したが、それは今日で言えば日蓮のことである。また「すべての悪人が釈尊の所に集まって配下になる」とは、日蓮の弟子達に当たっている。外道の人々は過去世に先仏が説いた教えを間違って解釈してよこしまな心を起こし、後に出現した釈尊を怨として種々の迫害を加えた。今、諸宗の学者もそれと同様であって、とりまとめて言えば釈尊の説いた教えを誤解して、それによってよこしまな心を起こしている。あたかもめまいを起こした人が、大きな山がまわっていると思うようなものである。

3:げどう。(ここでは)仏教以外の宗教の信者。
4:あじゃせおう。古代インド、マガダ国王ビンビサーラ(頻婆裟羅)の子。釈尊に反逆したデーヴァダッタ(提婆達多)に味方し、王である父を幽閉し 自ら王位についた。後に釈尊に帰依した。
5:かしょう。釈尊の弟子の一人。頭陀(衣食住を少欲知足に徹する修行)第一といわれた。
6:しゃりほつ。釈尊の弟子の一人。智慧第一といわれた。
7:もくれん。釈尊の弟子の一人。神通第一といわれた。
8:マヘーシヴァラ。漢訳は大自在天。大千世界の主とされ、崑崙山上の荘厳な宮殿にあって六十の天神に護られ、百千の天女に囲繞されている。(ここでは)ヒンドゥー教シヴァ神。
9:ヒンドゥー教ヴィシュヌ神。紕紐天とも書く。宇宙維持の神。
10:バラモン教 数論派の祖カピラ。
11:バラモン教 勝論派の祖カナーダ(別名ウルーカ)。
12:ジャイナ教の祖マハーヴィーラ。
13:538-597。中国天台宗の実質的開祖(慧文-慧思の相承から第3祖ともされる)で、後に天台三大部と呼ばれる『法華玄義』『法華文句(もんぐ)』『摩訶止観』を講じ、法華経広布に努めた。
14:湛然(たんねん、711-782)の尊称。中国天台宗の第6祖(竜樹より数えて第9祖ともされる)で、天台三大部の注釈書をはじめ多くの書を著した。天台の中興と称せられる。
15:しょうもん。サンスクリット語シュラーヴァカ(教えを聴聞する者)の漢訳。(ここでは)小乗仏教の僧。
16:えんがく。サンスクリット語プラティエーカ・ブッダ(独りで覚った者)の漢訳。(ここでは)小乗仏教の信奉者。
17:菩提樹下で悟った釈尊には帰依するが 法華経は信じない。

いま南都の六宗に天台・真言の平安の二宗を加えた八宗さらにこれに鎌倉時代の浄土・禅の二宗を加えた十宗が多くの門流に分かれて論争しているのも叙上のような理由によるのである。涅槃経の第十八巻に「贖命重宝」(大切な宝によって命をあがなう)という譬えがある。天台大師はこの譬えを解釈して次のように述べている。「命とは法華経のことである。その命をあがなう重宝というのは涅槃経が説くように蔵・通・別・円の四教(18)の中の前の三教のことである」。それでは涅槃経に説かれている円教はどうなるかといえば、それは法華経で説いた仏性が常住であるという道理を、涅槃経で重ねて説いて本の法華経の真理を明らかにするものであり、涅槃経の円理常住(19)の法門は法華経に収められるのである。涅槃経が説くところの対象はただ前三教に限られるのである。天台大師の法華玄義の第三に「涅槃経は法華経の命をあがなう重宝である。法華経の命を譲るために重ねて掌を打って賛同したまでのものである」とある。また妙楽大師の法華玄義釈籤の第三にはこの説に関連して「天台の家で涅槃経の贖命重宝の譬喩を引くのは涅槃経を重宝とし法華経を命とするのである」と述べている。天台大師の四念処という著作には、法華経方便品第二に「法華経に種々の道を説き示すのは、法華に引き入れるための方便である」とあるから、法華経以前に説かれた華厳・阿含・方等・般若の前四味(五味のうち)の諸経は、法華経の命をあがなうための重宝であると定めている。以上の通りならば、法華経の前の諸経も後の諸経も、すべて法華経の命をあがなうための重宝なのである。

18:天台教学で、釈尊の教えを その内容によって4分類した「化法四教」のこと。智[豈頁]が説き、湛然が最終的に体系化させた。
(一)蔵教…小乗の教え。(「三蔵経」の略。三蔵は大乗にも具備するが、智[豈頁]は小乗の意とした。)(阿含経典)
(二)通教…声聞・縁覚・菩薩に共通して示される大乗初歩の教え。(維摩経・勝髷経など)
(三)別教…菩薩にのみ示される 他との差異が明確な教え。(般若経典)
(四)円教…仏のさとりのままを説いた教え。(法華経)
19:えんりじょうじゅう。仏になる可能性が完全に常に存在していること。

これに対し諸宗の学者等の考えは、法華経以外の諸経は法華経の命をあがなうための重宝であるというのは、天台宗に限られた見方であるから、天台宗以外の諸宗ではその主張に賛同しないというものである。

私、日蓮はこのように考える。八宗・十宗の宗旨はすべて釈尊の滅後にそれぞれの祖師たちによって立てられたものであるから、釈尊滅後すなわち後から出来た宗旨の義に基づいて、釈尊の説いた経の内容をあれこれと議論してはならないのである。天台大師の主張は、経典の本意に叶った普遍的なものであるから、単に天台一宗に限られた見解として排除してはならない。諸宗の学者は自分が祖師と仰ぐ人の誤った考えに執(とら)われてしまっているから、法門の受け手の衆生の能力が充分でないとか、先哲の主張だから正しいとか述べた上に、賢王にとりいって味方につけ、結果として悪心を盛んにしてあらそいを起こして、何の失もない者が迫害されたり流罪されたりするのを見て楽しみにしている。

諸宗の中でも、真言宗は特に間違った意見を持っている。真言宗の祖師の善無畏(20)・金剛智(21)等の考えによれば、一念三千(22)は天台の至極の理論であり、釈尊の生涯における五十年におよぶ説法の中の最も肝要な部分であるが、釈尊の説である顕教(23)と大日如来の説である密教(24)の両者の中でも一念三千はしばらく置いておき、この他に真言密教で説くところの印相(25)と真言陀羅尼(26)とがあり、それが仏教の最要であるとする。その後、後につづく真言宗の学者達は、善無畏・金剛智の主張に基づくものだと称して、印相と真言陀羅尼を説かない経を低く位置づけて、外道の法のように劣るものであると否定した。それらの人々は、大日経は釈迦の説ではなく大日法身仏の説いた経であると言ったり、大日経こそ釈尊の説いた経の中の第一であると述べたり、ある時は釈尊と現われて印相と真言陀羅尼のない顕教(けんぎよう)を説き、大日如来として現われては両者を兼ね具えた密教を説いたと主張するなどである。

20:シュバカーラシンハ(637-735)。密教列祖の一人。東インドの王子とも中インドの王子ともいわれる。出家して大乗を学ぶとともに密教を授けられる。80歳で中国(長安)に梵語経典を携えて入国。『大日経』などの翻訳と密教の流布に努めた。
21:ヴァジュラボーディ(671-741)。中インドの王子。出家して南インドの僧となり大乗と小乗を学ぶ。玄宗皇帝の信任をうけ、中国に密教を定着させて その初祖となる。
22:いちねんさんぜん。人間が日常に起こす心の一つの動きの中(一念)にも宇宙のあらゆる事象(三千世間)が完全に具わっていること。天台教学で説く観法の一。
23:けんきょう。言語・文字で明らかに説かれた教えの意。密教の対する仮の教えという意味で空海が明確にした。
24:みっきょう。広義には密儀を持つ宗教の意で、狭義には加持祈祷あるいは灌頂(かんじょう)を行う真言宗の教義をいう。
25:いんそう(いんぞう)。仏像などの手指が示している特殊な形。この形をとることを「印を結ぶ」という。真言宗では、修行者が仏と同じ印を結ぶとき仏のさとりの境涯に入り、仏と一体になることができると説かれる。
26:だらに。サンスクリット語ダ-ラニーの音写。経典を記憶する力 を原義とするが、今は 仏前で唱える呪文の意として用いられる。

このように仏教の筋道を考えずに、限りない間違った考えを起こしている。譬えば、牛乳の色を知らない者が、色々と推量をしてみても、結局は本当の色がわからないようなものである。また目の不自由な人々と象との譬えのようなものである。真言師等は知るべきである。大日経等の真言の経が法華経以前に位置づけられるのならば華厳経等と同じであり、もし法華経以後ならば涅槃経と同様であって、いずれにしても法華経にはかなわないことを。

またインドの法華経の原典には印相と真言陀羅尼もあったが、翻訳者がそれを略したことも考えられる。鳩摩羅什(くまらじゅう)(27)の場合は妙法蓮華経と名づけ、後に善無畏(ぜんむい)が印相と真言陀羅尼を加えて大日経と名づけたともみることができる。例としては、法華経一つにしても、正法華経・添品法華経・法華三昧経・薩云分陀利経などの異名があるようなものである。釈尊の入滅後に法華経が諸経に勝れることを正しく知り得た人は、インドでは竜樹菩薩、中国では天台智者大師と称される智[豈頁]である。真言宗の善無畏等・華厳宗の澄観(28)等・三論宗の嘉祥(29)等・法相宗の慈恩(30)等の諸師は、名目上はそれぞれの宗旨の祖師として一宗を立ててはいるが、その実には、内心では天台宗に帰伏していたのである。これらの諸師につき従う多くの門弟はこのことを知らずに各々の宗旨に固執しているのであるから、どうして謗法の重い罪から逃れることができようか。

27:クマーラジーヴァ(350-409または344-413)。インド貴族の血を引く西域の訳経僧。401年に長安に入り、多数の仏典を漢訳した。日蓮聖人の用いた『法華経』は、この人の訳によるもの。
28:ちょうかん(738-839)。中国華厳宗第4祖で華厳教学の改革者。越州山陰(紹興市)の人。律、華厳、三論、天台を学んだ。のちに五台山大華厳寺に住して『華厳経疏(※)』を著し、長安に出てからは『四十華厳』の伝訳に寄与した。※疏:しょ。仏典の注釈書。義疏とも。
29:かしょう(549-623)。三論の教学を大成した学僧、嘉祥大師吉蔵(きちぞう)。金陵(南京市)の人。嘉祥寺において『中論』『百論』などの疏を著した。
30:じおん(632-682)。慈恩大師基(一般に窺基とも)。長安の人。師匠である玄奘を助けて訳経に従事し、『成唯識論』などを訳出。

ある者は、日蓮は相手の機根をよく知らずに粗末で強引な宗義を立てたから難に値うのだと非難する。

ある者は、法華経勧持品第十三に法華経を信奉する修行者は必ず難に値うと説かれているのは、位の高い深位の菩薩にあてはまるものであって、日蓮のような位の低い修行者は、安楽行品第十四に説かれるような寛容的な布教法によるべきなのに、それに背いていると非難する。

ある者は、内心では法華経の布教を正しく貫いて行くことが必要なのは知ってはいるが、人目をはばかって述べないのであると言う。

ある者は、日蓮の主張は経典の内容からみた教相(31)の面からの検討だけであって、重要な観心(32)の方面の思慮が欠けているが、私はそれを充分に理解していると述べる。

31:きょうそう。(ここでは)観心(32)に対する語。教えのすがた。
32:かんじん。自分の心を内省的に観察すること。内観。

中国の卞和(33)は武王への忠誠心を理解されずに逆に反感をかって両足を切断されてしまった。日本では和気(わけ)の清麿(丸)が忠義の心から道鏡が天皇になろうという野望を打ち砕いたがために、彼の怒りにふれて名を穢麿(丸)と改められ、死罪になりかけた上に足の筋を切られて大隅に流された。当時の人々はこの様子を見てわらったが、嘲った人々はその名を残していない。いまここに述べたような非難も、またこれらの事例とかわることがなかろう。法華経の勧持品第十三には「諸の無智の人が、正法を修行する者に悪口を言ったり非難したりする」とある。日蓮はあたかもこの経文のように侮蔑されている。それならば非難する人々こそこの経文の「無智の人」なのではないか。また同じく勧持品に「正法の修行者に刀で斬りつけ、杖で打つ者がある」とある。日蓮はこの経文を身をもって体験した。非難し迫害する人々は、この経文の意味がわからないのだろうか。また勧持品には「常に人々の前で正法の修行者を厳しく非難しようとする」「国王や大臣、婆羅門居士(34)などの権勢のある人々に向かって、正法の修行者を批判した言動を行なう」「悪口・侮蔑を受け正法の修行者は度々追放されたり流罪されたりする」などとある。この経文に「度々」とあるのは度が重なることである。日蓮は所を追われること数度におよび、流罪も伊豆配流につづき二度目である。

33:べんか(べんわ)。『韓非子』卞和編に出る。春秋時代の楚(そ)の人。山中で見つけた名玉の原石を 楚の厲[がんだれ厂に萬]王(れいおう)に献上したが ただの石だとして左足(筋)を切られ、次の武王のときにも同じ理由で今度は右足を切られた。次の文王になって 初めてその価値が認められたという。真実を表明するには危険がつきまとう、とその難しさを説く具体例として韓非子が示したもの。
34:ばらもんこじ。古代インドの四姓(ヴァルナ)の最上位に位する司祭者階級の人々のうち、出家することなく在俗のままで仏門に帰依した男子。

法華経の方便品第二によれば、過去・現在・未来の三世の諸仏は、まず権教を説いて人々を誘引し、最後に法華経を説くことになっている。従って説法の順序や布教の方法については、どの仏であってもその儀式の形式は法華経と変わりはない。このため過去世の威音王仏(いおんのうぶつ)(35)の時の不軽品第二十は、今の釈尊の勧持品第十三の教えとなり、同時に今の釈尊の勧持品の教えは、未来の仏の時は過去の不軽品となって、正法を布教する手本となる。不軽品に登場する不軽菩薩は、非難する者・信奉する者すべてに等しく布教して、時には刀・杖で打ちつけられ瓦や石を投げられたりする迫害を受けたが、今の釈尊の勧持品が、未来の世において、過去の不軽品として仰がれるようになれば、日蓮は過去の不軽菩薩として、正法を布教することの手本となるであろう。

35:法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる常不軽菩薩が、衆生救済のため この世に出てきたの時(過去世)の教主。なお、現世の教主は釈尊。

法華経は八巻二十八章から成るが、インドの原典は四十里程に亘って布かれるほどの量があると聞いている。きっと章の数ももっと多いことだろうが、現在伝来している中国や日本の二十八章の経は、出来るだけ簡略にして要点だけを取ったものである。法華経は前半・後半それぞれに序分・正宗分・流通分の三段に分かれているが、ここでは前半の部分について、序分と重要な正宗分についてはしばらく置いて、流通分について述べると、宝塔品第十一で法華経の布教をすすめた教えとして説かれる三箇の勅宣(付嘱有在・令法久住・六難九易)(36)は、法華経説法の地である霊鷲山と、さらに説法の場が虚空へと移った後の聴衆すべてに与えられた教えである。勧持品に至ると、この三箇の勅宣の勧めに従って集まってきたところの二万・八万・八十万億等の大菩薩が、釈尊の入滅後の布教を誓ったことが説かれるが、この様子は日蓮の浅い智慧では量り知ることはできない。けれども、その誓いのことばの中の「恐ろしい悪世の中」とある経文は、末法の始めにあたる今日には、勧持品に依るべきことを説き示すことになる。

36:さんかのちょくせん。法華経見宝塔品第十一には、仏の滅した後に法華経を受持し弘めるよう 釈尊が三度勧め命じたことが書かれており、それぞれ付嘱有在、令法久住、六難九易と日蓮聖人によって名付けられている。
「恐ろしい悪世の中」と説かれる勧持品の次の安楽行品には「末世において」とあり、妙法蓮華経と同本異訳の正法華経には「後の末世」「後来の末世」ともあり、同じく添品法華経には「恐ろしい悪世の中」とある。

現在の世の中を見ると、勧持品に示された三類の怨敵(法華経布教をさまたげる俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖(せんしよう)増上慢の人々)(37)が眼前に現われている。しかし釈尊の前で布教の誓いを立てた八十万億の菩薩は一人も見えていない。干いた潮が満ちず、月が欠けたままで丸くならないような物足りなさを感じる。水が清めば月は自然とその姿を水面に浮かべ、木を植えると鳥がやってきて棲む。日蓮は八十万億の諸菩薩にかわって法華経の布教をするのであり、その諸菩薩の守護をうけている者である。

37:「俗衆」とは一般の民衆、「道門」とは仏僧、「僭聖」とはみずから聖者と僭称する仏僧をいう。

貴殿が差し向けてくれたこの入道は、貴殿の言い付け通りに、佐渡の国まで同行したいと言うけれども、費用の事もあり(38)、また気の毒でもあって、色々とめんどうなことがあるので帰ってもらいます。貴殿の暖かいお気持ちはいまさら改めて申し述べるまでもないが、一同の者にもよく申し伝えて下さい。ただ牢に入れられている日朗(39)らの弟子のことが気にかかります。機会があったならば、ぜひとも早く安否について聞かせて下さい。

38:原文は「用途云」。紀野氏も同様に訳し、その訳書で、「この入道は富木胤継が私的に遣わした付け人であるから、生活費は当然、富木氏の負担となる。日蓮は、流人が付け人を伴うことをはばかったこともあるが、それよりも流罪にあたって自己を完全に空無化したかったのでこういう処置をとったのである。」と断言している。
39:にちろう。日蓮聖人直弟子6名(六老僧)の一人。竜口法難の際には土牢につながれた。

十月二十二日酉の時(午後六時頃)
日蓮  花押
土木(40)殿

40:富木の宛字。当時は あまり漢字にこだわらず 音が同じであれば違う文字も気にせず用いた。

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