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寺泊御書 目次
『寺泊御書』とは?

 信者である富木常忍(ときじょうにん)氏へ宛てた、日蓮聖人のお手紙のことです。寺泊の地で書かれたため、そう呼ばれています。その時 使われた水を汲んだ井戸が、硯水の井戸です。文永8(1271)年10月22日、日蓮聖人御歳50歳の著述です。

 『寺泊御書』は真蹟(実物)が残っており、重要文化財に指定されて、千葉県市川市中山法華経寺に大切に保管されています。
 富木常忍氏は のちに僧(常修院日常上人)となり、自邸をお寺にします。これが、今の法華経寺です。これで、「なぜ『寺泊御書』が法華経寺にあるか」が、納得頂けることでしょう。

 つまり、『寺泊御書』は、今の法華経寺がある所に住んでらした富木常忍氏へ宛てたお手紙であり、富木氏が受け取って以来、大切に保管され続けているのです。

 内容や位置づけについては、以下、日蓮宗事典に拠ります。
(原典では、日付は漢数字)

 「聖人は、文永8年9月、鎌倉幕府の勘気を受け佐渡へ流罪の身となった。10月10日相模依智を発ち、同月21日に寺泊に着き、ここで渡島の順風を待つ間に著したのが本書である。聖人は、富木氏が供奉させた入道を鎌倉に帰すにあたり、本書をことづけたのである。冒頭に相州依智から越後国寺泊津に至る旅の様子を述べ、如来滅後における法華経弘通の難を論じて、現身に受けつつある大難の意味を説き明かす。即ち度重なる受難こそ法華経と自己との符合を意味するもので「日蓮は八十万億那由他の諸の菩薩の代官」として法華経弘通に身命を捧げているとし、法華経の行者としての自覚の高揚を示されている。
 これは翌文永9年2月述作の『開目抄』の伏線となるもので、佐前最後の遺文であると共に、佐渡期の聖人教学へ至る橋渡しとして重要な意味を持つものである。」
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