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お釈迦様の教え、日蓮聖人の教え(2007年)

秋季彼岸会法話要旨

寺報『石蕗(つわぶき)』のシリーズ「お釈迦様の教え、日蓮聖人の教え」より
第12号:「欲令衆」

春季彼岸会法話要旨

寺報『石蕗(つわぶき)』のシリーズ「お釈迦様の教え、日蓮聖人の教え」より
第11号:「言霊(ことだま)」

青森県五戸町 妙信寺住職 田中康勝上人の法話
上記は、日蓮宗青森県宗務所サイト内への直接リンクです。なお、田中上人には 副住職が荒行加行中 大変お世話になりました。
日蓮宗青森県宗務所様:リンク御快諾、ありがとうございました。)

教え(2006年)
教え(2006年以前)



遺言のススメ



…秋分の日とは…

 今日は秋分の日でお休みです。
 それは『国民の祝日に関する法律』第2条に規定されています。そこには、目的と申しましょうか、理由と申しましょうか、「どうしてこの日がお休みなのか」ということも書いてあります。例えば、「元日」は「一月一日」に「年のはじめを祝う。」とあります。
 で、今日、「秋分の日」です。「秋分日」に「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」とあります。
 ですので、みなさんは法律に則ってお参り頂いているわけです(会場笑)。「三連休だから」と旅行に行っている人は法律違反になる、とうわけです(会場笑)。

 そんな秋のお彼岸ですが、よく言ったもので「暑さ寒さも彼岸まで」という通り、大分涼しくなりました。まぁ、ありがたい限りです。
 私は脳天気で「涼しくていいなぁ」と思いますが、新潟の人は先を見越す人が多いようで「あぁ、じっき さむぃなる(じきに寒くなる)(泣)」と(会場笑)。で、春になると「あぁ、まぁったあっちぃ夏が来るすけ大変ら(また暑い夏が来るから大変だ)(泣)」となるようで(会場笑)。なかなか興味深いなぁ、と思うわけです。
 しかし、その性質は日本海側の人だけではないようで、日本人全般に当てはまるそうです。悪く言えば悲観的ですが、良く言えば「先を見越している」ということだそうです。


…墓地…

 「先を見越している」といえば、…話が変わりますが…今 法福寺の墓地にはこのような看板が立ててあります。
墓地看板
これは、どなたのか分からないお墓の前に立てさせて頂いています。

 ありがたいことに、法福寺にお墓参りに来られる方は、無縁墓にもお参り下さる方が多いようです。ですので、お参りが全くないお墓でしたら、いっそのこと思い切ってそれを無縁墓へ合祀した方が、お参りしてもらえていいのではないか、ほとけさんもその方が喜ばれるのではないか、と考えたわけです。
 間違ってお参りのあるお墓を移転させては大変ですから、まず第1段階として、しっかり調査をしよう。となったわけです。
 もしお参りがあるようならば、誰がお参りされているか明確にすることで、「このお墓は無縁墓に積んではいけないんだな」としっかり把握をしたい。ということでございます。
 ですので、御存知でしたら どんなことでも結構ですので、ぜひ 情報をお寄せ頂きたいと思います。

 上の看板、寺報『石蕗(つわぶき)』には載せませんでしたが、ホームページには載せました。


…ホームページが繋ぐ縁…

 ホームページといえば、この間も「御首題帳下さい」とか、「芭蕉の句碑が…」という方が来られました(できごと参照下さい)。

 また、ある方から「リンクを張らせて下さい」というメールを頂きました。快諾したわけですが、昨日 新潟日報を見てびっくりしました。ナント、その人が8段抜きで紹介されているではありませんか。

 色々な御縁を頂戴しているのだなぁ、と驚く次第です。


…社会の変革…

 御縁と言うことですが、みなさんは、去年のお会式のお話、覚えていらっしゃいますでしょうか。…私はすっかり忘れてまして、今日うっかり同じ話しをするところでした(笑)。

 「信心の相続」を前回お願い致しました。その理由は次回に…ということでしたので、今日お話し致します。その理由は、「信心を持って生活していると、日々心やすく暮らせるから」です。

 みなさんの世代のお陰で、日本は物に苦労しなくなりました。戦後60余年。物が無く苦労したみなさんの努力の賜で、これだけゆたかになったのです。それは、「幸せになるため」に頑張ってきたから。が、幸せな社会になったかというと…。

 弁当箱のフタについた御飯粒を「もったいない」と取りながら、「体に悪いから」残す中年男性、という4コママンガを見たことがあります。

 日本の食料は40%を輸入に頼っています。先進国で最低の数字です。でありながら、25%は残飯にして捨てているという実態。

 食べ物を捨ててしまうのは、食べ残しとして だけではありません。古い新聞記事から引用で恐縮ですが、某食品製造工場では、一日平均約3トン御飯を炊き、そのうち50〜60kgは捨てるそうです。急な注文に対応するため余計に炊くからだとか。この後お斎を召し上がって頂くわけですが、そのために用意した御飯よりも明らかに、多い。本堂にこれだけいる人が一膳づつ食べても食べきれない量が毎日捨てられるそうです。そう思うと、「割合としては2%程度だから」とは簡単に言えないのではないでしょうか。

 さらに、製造工場だけではなく、お店でもこういった現象が見られます。
 弁当やおにぎりが常にお店に並んでいるためには10%の廃棄は必要だそうです。完売したお店は「商機を逃したお店」だそうで、常に…弁当などで10%、トータルで2%程度は…廃棄がないと、売り上げとしてはベストな状況にないとか。

 これが「幸せな世の中」なのでしょうか。

 もちろん、生活のためには「お金が大事」です。でも、その唯一の価値観だけで生活していくことが望ましいことなのでしょうか。お金主体で社会が動くから、このようなことになってしまうのではないでしょうか。


…日蓮聖人のお言葉…

『妙法尼御前御返事』
「人の寿命(いのち)は無常なり。出(い)づる気(いき)は入(い)る気(いき)を待つ事なし。風の前の露、尚譬(なおたとえ)にあらず。賢きも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無き習ひなり。されば先(まづ)臨終の事を習ふて後(のち)に他事を習ふべし」。
(人の命は無常である。次の瞬間を生きられる保証などどこにもない。だから、まず、自分の死に際を良く考えなさい。他のことはそれからでよい。)

 臨終のことについて、色々と御紹介しましょう。


…本居宣長の遺言…

 国学者の本居宣長は、自分のお葬式からお墓まで事細かに遺言していったそうです。死に装束の生地(きじ)から葬列の順番、果てには、棺に一回かんなをかけ 裏表に美濃紙を貼れ、なんてことまで。

 ここまでいかなくても、御首題帳や行衣がどこにあるか言い残しておくと、残された人達が助かるのではないでしょうか。


…団塊世代の葬儀観…

 首都圏の団塊世代の男性に聞いた調査によると、葬儀に来てもらう人には自由な服を と思う人は35%、でも自分も好きな服を着る は14%。また、全く考えていないという人も40%。

 別の調査によると、5段階で考えた時、自分が送られるとき=自分のお葬式のとき=は、一番下でよい。だけど、自分が送るときは、真ん中くらいで、という方が一番多いそうです。


…遺言のススメ…

 残された方々が困らないよう、手紙でも口頭でもいいので、何か残しておくことをオススメいたします。

 そこで、何をどう言い残せばよいか分からないという方のために色々と用意致しました。法話の後もここに置いておきますので、よく御覧下さい。


…お釈迦様のお言葉(法華経『譬諭品第三』より)…

「今此の三界は 皆是我有なり。其の中の衆生は 悉く是れ吾が子こなり 而も今此の処は 諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護をなす」
(この世界は佛様に見守られている。つまり、人々は謂わば佛様の子どもである。この世はつらいことや嫌なことが多いけど、佛様は助けてくれる。)

 日々信心を持って生活し、このような準備をしておけば、何の心配もいらないわけです。

 最後に、ますますの御精進をお願いしまして、お彼岸の法話とさせて頂きます。長時間の聴聞、御苦労様でした。
平成19(2007)年秋季彼岸会法話より
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欲令衆



 私達が日々おとなえしているお経の一つに「欲令衆(よくりょうしゅう)」があります。これは、大切な経文を抜粋して構成されています。次の現代語訳を読むと意味がよく分かります。

1.あらゆる佛は、衆生たちに佛の知見を開かせて、彼らが清らかになることができるようにしたいと思われるために、この世に出現された。衆生たちに佛の知見を示そうとするがために、この世に出現された。衆生たちに佛の知見を悟らせようと思うがために、この世に出現された。衆生たちに佛の知見を得るための道に入らせようとするがために、この世に出現された。舎利弗よ、これらのことを佛たちはただ一つの大事ないわれのためにこのように出現されたというのである。

2.この世界は安らかでなく、燃えている家のようなものである。さまざまな苦しみに満ちており、とても恐ろしく、つねに生老病死の憂いがある。このような火が燃えさかっていてやむことがない。釈迦牟尼佛は、すでに三界という燃えている家を離れて静かに一人でいて、林や野に安らかに身を置いている。今この三界は、みなすべて私(釈迦牟尼佛)の子供達である。しかも、今このところにはさまざまなわずらいや災難が多くあって、ただ私(釈迦牟尼佛)一人だけが救い守ることができるのだ。

3.私(釈迦牟尼佛)は身を変じた四種の人々、すわわち、僧、尼僧、男性信徒、女性信徒をつかわして説法するものを供養させて、衆生たちを引き導いて彼らを集めて説法を聞かせよう。もし人が憎悪、刀や杖、瓦や石によって迫害を加えようとするならば、そこで身を変じた人をつかわし、その人の護衛としよう。

4.その時に宝塔の中から大きな声がひびいて次のように讃えた。すばらしい、すばらしい、釈迦牟尼世尊よ。あなたは、よくぞ平等で偉大な佛の智慧、菩薩を訓育する法、佛に護持せられるもの、という「妙法蓮華経」によって大勢の人々に説法された。そのとおり、そのとおり、釈迦牟尼世尊よ、あなたが説いたところは、全て真実である。
寺報『石蕗(つわぶき)』第12号より
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思いやりのこころ



 前回のお参りから説教台の位置を変えました。どうも、皆さんの顔が見えすぎるようです。どうか下を向いていて下さい(一同笑)。
お彼岸の法話、お参りはもう済みましたので、どうか楽にお聞き下さい。

火事から学ぶ「謙虚さ」

 先日の(近所であった)火事に、私は4時頃気づきました。町の上(かみ)方面、下(しも)方面を見ても何ともなっていませんでした。なんと火は真下から出ていたのです。「距離が離れているから平気だったろう」と思われるかも知れません。しかし、そうではなかったのです。空一面の火の粉が流れてきました。 当初は風向きの関係で下(しも)の方へ火の粉が落ちていました。それが時間と共にだんだんと、お寺の方へ落ちてくるようになります。
 墓地の隣接地…お隣さんの裏手…では、枯れた立木に燃え移りました。消火栓にホースをつないでその火を消したわけですが、そのホースの筒先を持っていたのが副住職でした。余談ですが(一同笑)。

 火元だけでなく離れた山側にも被害があったということで、消防団の方が駆けつけて下さいます。その後、火が出ないことを確認するまで警戒していてくれました。たまたま檀家さんがいましたが、誠に心強く思った次第です。

 ひとたび火が出ると消すことは困難なわけですが、こういうとき、人の力がいかに弱いか、つくづく感じます。家庭一般で使われているようなホースではどうしようもない。家に戻って何かを持ち出そうとすると、焼け死んでしまうかも知れない。色々なことがありますが、火事が一番怖い。

人は強がっていても自然にはかなわない
これを踏まえておくと、違う考え方ができ、慢心せずに謙虚な気持ちから出発できます。このことが大切なのです。

暮らしにくい世の中。その1…ジコチュー増加…

 都市部の救急車が出動した事例を、いくつかを紹介致します。
・酔っぱらいのイタズラだった。
・手の小指をぶつけたくらいの軽傷だった。
・「気分が悪い」との通報だったが行ってみるといなかった。しばらくすると戻ってきた。話を聞くと「待っていたけど来なかった。腹が空いてきたからコンビニに買い物へ行った」と言った。
・入院するための準備をして、タクシー代わりにしようとした。
もちろん、極端にひどいものでしょうが、自己中心の人が増えている証拠ではないでしょうか。

暮らしにくい世の中。その2…物騒な世の中を反映?…

 周りを気にしないと言えば、小学生が挨拶しなくなったようにも感じています。まるで昨今の物騒な状況を反映して、「知らない人には挨拶をするな」という指導があるのではないかと思ってしまうくらいに。

 将来がどうなってしまうか、本当に心配になります。

暮らしにくい世の中。その3…全てをお金で計る世の中…

 お金で価値観を計る世の中になりました。某テレビ番組では、素人が持っている骨董品を専門家に鑑定してもらい、その価値を金額に換算しています。放送開始以来、非常に人気で、長寿番組の域に入るほど長く放送されているのではないでしょうか。

 持っているだけで良いハズなのに、お金に換算したがる。100万円の価値があると思って調べてもらったら1万円だった。とたんに大切にしなくなる。1万円くらい思ったら100万円の値が付いた。急にそのものがよく見えてくる(一同笑)。それが人間なのですが…。「世間の値打ちがいくらであろうとも、自分が良いと思ったものは良い」と思えばいいのではないでしょうか。

 私が話す時はいつも暗い話しばかりです。次回の法話は副住職が担当ですから、楽しい話しになるでしょうが(一同笑)。

暮らしにくい世の中。その4…世界の異常気象…

 2月の新聞に、世界中の異常気象について掲載がありましたので、いくつか紹介致します。
・1月24日に名古屋でタンポポが咲いた
・1月23日に神戸で例年より23日も早く梅の花が咲いた
・モスクワで動物園の熊が一ヶ月しか冬眠しなかった
・東南アジアでは洪水が起こった
・イギリスでは春に咲くマツユキ草が年末に咲き、オタマジャクシが見られた
・フランス南部ではいつもはできない時期に海水浴がする人が見られた
・ロシアでは湖が凍結しなかった
地球温暖化をなんとかせねば、という気持ちにさせられます。でも、「どうすれば?」というのが正直なところではないでしょうか。例えば、「どうすれば二酸化炭素を減らすことができるか」。簡単には答が出ないこととは思いますが、一人一人が考えて行動していかなければならないのではないでしょうか。

法華経「常不軽菩薩品」

 先ほど拝読致しました「常不軽菩薩品」ですが、これは、まさに「常不軽菩薩」様について書かれたお経です。
 常不軽菩薩様は道行く一人一人に手を合わせられました。それは、一人一人の中にある仏種(ぶっしゅ)…仏様となる種…を見出されての行為なのです。すなわち、
自分の中にある仏種に気づき、それを大切にしていくことで、心やすらかに暮らすことができる
と法華経には書いてあるのです。
 みなさん、ぜひともこのことに気づいて生活されて頂きたいと思います。

 それでは、具体的にはどのようにすればよいかと申しますと、よくある例えとして「ろうそく」と「足のウラ」があります。

 ろうそくは自分を減らして周りを照らします。一人一人のために生きることが法華経に示されています。周りの人のために生きることが大切なのです。

 足のウラなしには歩けません。でも、足のウラは決して日の目を見ることはありません。文句も言わず、黙々と働いている。足のウラの気持ちを心がけることで、まわりと自分が幸せになれるのです。

魔法の言葉

 「ツキを呼ぶ『魔法の言葉』」を御紹介致します。それは、
ありがとう
感謝します
です。五日市剛さんという方が自著で紹介しているものです。それによると
困難の時こそ、ありがとうと言え
ということで、普通「何で自分(だけ)が――」と思うところですが、そこを敢えて「ありがとう」と言うそうです。それによって乗り越えられた時は「感謝します」という…すると、周りが自分を助けてくれるようになる。

 また、
悲観的にならず、「ツイている」と自分に言い聞かせると良い方に展開される
思いやりの心を持っていても実践しないと他人からは見えない。言葉にすることで気持ちを整える。

日蓮聖人のお言葉

 「蔵の財(たから)よりも身の財(たから)すぐれたり。身の財(たから)より心の財(たから)第一なり」(崇峻天皇御書)と日蓮聖人は仰っております。
 もちろん、「蔵の財」=金品も大事です。ですが、病気したらお金を使えません。「身の財」=健康であることはお金を持っていることより優れたことなのです。
 心が正しくないと暮らしにくいです。人は寄ってきません、助けてくれません。「心の財」=思いやりを持つことが第一なのです。

 では、「思いやり」とは具体的にどのようなことなのでしょうか。それは、
苦しんだり悲しんだりしている人がいたら、一緒に苦しんだり悲しんだりする
そういう境地です。
 周りを幸せにする人は、周りの人によって、もっともっと幸せにしてもらえるのです。そう考えると、思いやりとは、つきつめると自分のためになることなのです。


 これらことを、今日はお持ち帰り頂き、実践頂きたいと思います。そうすれば、9月=秋のお彼岸では、幸せな気持ちでお参り出来るのです。…もし、ムスッとされているようでしたら、思いやりの心が足りなかったんだ、と(一同笑)。

 最後に、ますますの御精進をお願いしまして、お彼岸の法話とさせて頂きます。長時間の聴聞、御苦労様でした。
平成19(2007)年春季彼岸会法話より
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言霊(ことだま)



 「わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。」

 これは日蓮聖人のお言葉です。その意味は「思いやりの心を伴わない口先だけで話をする人は、他の人に嫌われて 相手にされなくなり 不幸になる。逆に思いやりのある心をもって人と接する人は、他の人に愛され 幸せになることが出来る」と言うことです。

 私達は日常、人と話をする時、無意識に思ったことをそのまま話していることがほとんどです。その為、知らないうちに相手の心を傷つけていることが多々あります。言葉は、それ程大きな影響力をもっています。だから、「言霊(ことだま)」というのかも知れません。

 次のような詩があります。

そのひと言で励まされ
そのひと言で夢を持ち
そのひと言で立ち上がる
そのひと言で腹が立ち
そのひと言でがっかりし
そのひと言で泣かされる
ほんの僅かなひと言で不思議に大きな力を持つ
ほんのちょっとのひと言で

 皆さんも日常の中でよく経験することではないでしょうか。ささいなひと言でケンカにもなり、又励みにもなるのです。

 私達は一人では生きてゆけません。常に多くの人々と共同生活を営んでいます。その中でみんなが楽しく暮らす為には、常に相手のことを思って言葉を発することが大切です。

 一度口から出た言葉は、元に戻すことは出来ません。言葉を発するには、状況によって、よく判断しなければなりません。

 次に、その判断基準をあげますので、日常の中で役立て、良い人間関係を作ってほしいと思います。

 「ことばの五対(ごつい)」(鋸喩(きょゆ)経より)
一.その時々にふさわしいことばとふさわしくないことば
二.事実にかなったことばとかなってないことば
三.やわらかいことばとあらいことば
四.有益なことばと有害なことば
五.いつくしみのあることばとにくしみのことば
寺報『石蕗(つわぶき)』第11号より
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ひとつ前の教え(2006年)